丹波の作り手たち 風土と創作01 和紙作家 ハタノワタル

農業地でもあるこの土地の風土と文化が混ざり合い、私たちが当たり前に見ている里山といわれる風景はその担い手たちによって形成され、自然と文化、都市との程よい距離感、伝統的に育まれたもの作りを受け止める気風に惹かれて現代でも多くの作り手たちが活動の拠点を置き、暮らしている。

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丹波の作り手たち 風土と創作01 和紙作家 ハタノワタル

京都府と兵庫県にまたがる形で広がる旧丹波の国、
廃藩置県によって2つの府県に別れたこの地は都と近いことから様々な文化が流入し歴史の中で変化しながらも今もその特色を色濃く残す。

 農業地でもあるこの土地の風土と文化が混ざり合い、私たちが当たり前に見ている里山といわれる風景はその担い手たちによって形成され、自然と文化、都市との程よい距離感、伝統的に育まれたもの作りを受け止める気風に惹かれて現代でも多くの作り手たちが活動の拠点を置き、暮らしている。

そこにはただ穏やかで静かな日常だけがある訳でなく、ある種の厳しさや意志も見え隠れする。そこで彼らは日々何を感じ創作に向っているのだろう。 
3人の作り手のもとを訪ねお話を伺った。

 

楮などを沈めた舟を馬鍬(まぐわ)で撹拌していく

楮などを沈めた舟を馬鍬(まぐわ)で撹拌していく

ザパッ、ザパーッ、ジャッジャッ、ザンザンザン。
静かな夕方の田舎道に水を張った舟で楮や原料を撹拌する音が聞こえてくる。
京都府綾部市の中心から少し離れた場所にある和紙作家のハタノワタルさんのアトリエだ。
谷間の耕作地に田んぼが広がり、アトリエの横には和紙の原料となる楮が植えられている。

ハタノさんはホテルや店舗、住宅、家具、アートワークまで職人としても表現者としても、かつては幅広く生活の中に活きた和紙の可能性を探りながら創作活動を続けられている。

加工場の二階、階段を上り、躙って入り口を入るとそこには壁や床は白い和紙で囲まれた隠し部屋が現れる。
工房にお邪魔したのは秋、扉を明け夕方の風が入り込み、外で虫たちが鳴く中お話を聞いた。

稲刈り後の静かな夕方にお話を伺った

稲刈り後の静かな夕方にお話を伺った

 

ーリアルな感覚を掴みたくて、職人の世界へ

ハタノさんは1990年代前半バブル崩壊直後に東京の美術大学で学生時代を過ごし、アルバイトをしていたデザイン会社に就職したものの、すぐ退社し北海道へ身一つで向った。

「物も機会もたくさんあって何かしたいことがあるんだけど、実態が掴めなかったり、偽物に見えていたんです。デザインの世界に入ったときも何か狭さを感じて嘘っぽいものに見えていた。ずっと続いてきた人の暮しって何だろう。そういったことにすごい興味があって、リアリティのある世界に何かを掴みにいこうとしていました。」

その後、毎日その時の思いを記していたスケッチブックが黒谷和紙だったことがきっかけで旅の途中に流れ着くように綾部に移り暮らしはじめて22年。

「この土地の楮を育て紙を漉くということは自分なりに土地の循環や環境にも意識を向けて活動しているつもりなんです。和紙って丈夫で強くて、とてもいいんだけれど触れる機会が少ないからみんな知らない。
この世界に入った当初は続けることが大切だと考えていたから黒谷で一番できる職人になろうと思って精力的にやっていて、均質に美しく、いろんな種類の紙も漉き、量も誰よりも漉いた。でもそれだけでは問屋に卸しているだけで世間のみなさんには知ってもらえなくて、生活も苦しかった。どうすれば暮しが豊かなものになるのか考えて、それで10年程前から直接売ったり、箱やブックカバーに少しポップに見えるように版画を施して和紙のイメージを拭おうと思ってそういうことをやり始めた。まずは触れてもらうきっかけからっと思ってね。」

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ー逆説的だけど今は「黒谷和紙らしい和紙」しか漉かなくなっている

内装や住宅の壁、床、家具まで空間にまつわる制作範囲は多岐にわたる現在、職人として、紙漉きはよりシンプルに絞られたものしか漉かなくなっている。民藝運動で見いだされた黒谷和紙はその後、消費者に売れる物をと様々な種類のものを作ってきた。でもその裏側で民藝として見いだされた本来の黒谷和紙は陰を潜めて消費社会の中に埋もれていってしまっているという。

「いろんな種類のお土産みたいなものが残ってしまっていて、それでは本来の意味での黒谷和紙は残らないと思っています。
いまはそこをどうにかしたくて作業をしていて、作家のような活動が多く見えるかもしれないけれど、一番ベーシックな職人として仕事も同時にしている。そこは戻っている。」

楮の仕込み風景

楮の仕込み風景

かつては綾部市黒谷にある共同の工房で紙を漉いていたハタノさん、現在は独立し自分のアトリエで紙漉きをしているが黒谷に紙を卸しているという。

「僕が内装に和紙を使うことで、自分も家に貼ってみたいとか、他の産地の和紙職人が真似をしてくれるとか、ハタノがやってるなら自分たちでやってみようみたいなことも起きてくる。僕は自分自身で使うことで民藝以前の黒谷の和紙を守ることにも繋がってくると思っていて、それが回り回って環境のこととか、足もとの暮しにも繋がっているような気がしてる。自然素材を考えるときの選択肢の一つとして和紙がその一つに入ってほしいんだよね。」

2、3年前から始めた書。自分の精神を表す方法として興味深く、自分と向き合うにもバランスが取れるそう。それにしてもすごい熱量溢れる場だ。

2、3年前から始めた書。自分の精神を表す方法として興味深く、自分と向き合うにもバランスが取れるそう。それにしてもすごい熱量溢れる場だ。

 

ーぶっ壊そうと思ってやってきた

職人としてやってきた、和紙の可能性を知ってほしくて雑貨を作った、そこを入り口として家具や店舗什器、内装と取り組みの幅を広げてこられた彼はこれからどこへ向うのだろう。

「この先はいろんなクリエイターの方々とご一緒してみたい。17歳の時に美大に行くと決めて、それまでは進学校の理数系にいて、それが楽しくなかった。だからぶっ壊そうと思って自分で前に進んできた。だからこれからもぶっ壊すのかもしれないけど、それは自分が置かれた状況に対してかも知れないですね。
突き抜けて突破することはなかなかできないけど、やり続けるしかないです。
降りる梯子はないから、梯子作ってまた登って行くしかないですしね。」

風土に影響されるというよりは、風土にどう自分を作用させ、どう関わるのか。自分が置かれた環境にあぐらをかかず、常に前を見据える彼の目はどこを見据えているのだろうか。

お話を聞いている間にあたりはすっかり暗くなり、月が昇っていた。
静寂の中でまだ虫たちが鳴いている。

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ハタノワタル
和紙職人、和紙作家。
1971年、兵庫県西淡町(現・南あわじ市)生まれ。
1995年、多摩美術大学絵画科を卒業。北海道での農業生活を経て97年に黒谷和紙の世界へ手漉き和紙の職人となる。
国内外での個展に加え、店舗、住宅の壁や、床、家具などへの和紙の施工など
かつては暮らしの中で活きていた和紙の可能性を広げ、現代の暮らしに提案している。
www.hatanowataru.org

個展
2019年1月4日ー1月23日 京都やまほん
3月23日ー4月8日 evam eva yamanashi

グループ展
2019年1月26日ー2月11日 ギャルリももぐさ

聞き手:小菅 庸喜
archipelago 店主
1982年、埼玉県鴻巣市生まれ。
2007年、京都造形芸術大学卒業後、アパレルブランドプランナーを経て、2015年独立、暮らしのベースを兵庫県丹波篠山に移す。
2016年、生活道具、洋服、本、家具などを扱うセレクトショップ、archipelago(アーキペラゴ)オープン。 住空間や店舗、ブランド立ち上げなどにも携わっている。
www.archipelago.me

 

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TEXT BY NOBUYUKI KOSUGE

PHOTOGRAPHS BY KOHEI YAMAMOTO

19.01.04 FRI 17:18

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