旅と工芸|九州 窯元めぐり(前編) ‒小鹿田・小石原編‒

梅雨入り前。湿度が最高潮に達した京都を脱出してからり晴れ空の博多へ。京都駅から博多駅までのぞみに乗って約2時間半。そこからレンタカーで約1時間半で⺠陶の里、小鹿田(福岡県)だ。京都で目覚めて、山間の窯元でお昼のおにぎりを食べている。
1泊2日、4県にわたって陶芸4産地を巡る怒濤のツアーが幕を開けた。

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旅と工芸|九州 窯元めぐり(前編) ‒小鹿田・小石原編‒

今年7月上旬の九州豪雨災害により小鹿田(おんた)、小石原(こいしわら)両地区は甚大な被害を受けました。大規模な土砂崩れによって家屋・工房の浸水や損傷、道具の破損などの痛手を受けました。作陶の要ともいえる登窯を土砂に流されてしまった窯もあります。
現在、ほとんどの窯元が作業を停止しています。山中の集落にとっての生命線である道路が被害を受けたことで、現在も予断を許さない状況が続いています。本稿は、豪雨災害の直前に取材した内容に基づき執筆しています。小鹿田、小石原両地区は、小規模な、家族経営の窯元ばかりの小さな陶芸産地です。この記事により、ひとりでも多くの方が両地区の復興について関心を寄せられることを願います。
現地の一日も早い復興を心よりお祈りいたします。

KYOTO CRAFTS MAGAZINE 編集部
工芸ジャーナリスト 米原有二

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小石原の被害の様子(提供:涌波まどかさん)

 

<日本赤十字社が受付ける義援金に関する情報>
平成29年7月5日からの大雨災害義援金
日本赤十字社 ホームページ

http://www.jrc.or.jp/contribute/help/2975/
|受付期間|
平成29年7月7日(金)から平成29年8月31日(木)まで

 

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■唐臼の音が響く⺠陶の里 小鹿田(大分県)

−峠を降りて村に入れば耳に聞こえるのは水車の響きである。
焼物の土を砕くのである。
音の間はいたく⻑い。
大きな受け箱が少しの水を待つてゐる。
急ぐ用もないのである。
待ちどほしく思ふのは吾々のだけと見える。
だがこの緩やかな音があつてこの窯があるのである。−
(柳宗悦『日田の皿山』)

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とにかく静か。そして、忘れた頃に「ぎぃぃ、ばたん」と唐臼が鳴く音。およそ80年前にこの地を訪れた柳宗悦が、作風や技法を語る前にまずこの静寂さを記したのも無理はない。今よりもっと不便な時代、柳宗悦もバーナード・リーチも険しい峠を越えてこの静かな里にやってきたんだなぁ、と思うと感慨深い。

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小鹿田焼の窯元は10軒。産地としての適性規模を保つためだろうか、ずっと昔からむやみに窯元を増やさず、それぞれの窯元が一子相伝の家族経営で維持してきた。
唐臼は窯ごとにあるので、少し歩くと「ぎぃぃ」、ちょっと行くと「ばたん」と2つの音が重なることもある。それだけ近い距離に10軒の窯が身を寄せ合うようにして並んでいる。

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ゆったり動く唐臼で粉砕した原土は濾過を繰り返して不純物を取り除き、天日にさらして乾燥させる。どの窯元も、窯場の前にこんもりと陶土が盛られていた。色艶はどこも同じだが、その盛り方に窯元ごとの違いがあるのが面白い。

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ほとんどの窯元では、工房の玄関先に商品を並べていて購入できるようになっている。小鹿田焼は窯元の裏印を入れずに、皆揃って「小鹿田焼」と刻む。共同体としての産地のあり方をよくあらわしている。
10窯、みんなで小鹿田焼。それでも器からは10軒それぞれの特徴が見えたりもして、楽しい買い物だ。

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商売っ気がまったく無いのは、都会でよく売れている証だろう。ここで販売しているのは問屋が引き取ったあとの余剰分なんだろう。
目にとまったのは、把手の付いた水差し。国内に陶芸産地は数あれど、このような水差しは類を見ない。まるで⻄洋のピッチャーのようだが、把手が無い形状のものは江戶時代から小鹿田でつくられ続けてきた伝統のかたち。把手は昭和初期にここを訪れ、この水差しの美しさに驚嘆したバーナード・リーチが指導してから付いたそうだ。

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日田地区、小鹿田は大正時代頃の地図には「⻤田」と記されていたとも聞くが詳しくはわからない。ただ、「おんた」の名が広く世間に知られるずっと以前から、九州北部地域では、日用の器といえばこの地域で焼かれたものであり、この地は「皿山」という通称で呼ばれていた。
皿の山。この呼び名ひとつで、ここがどれほど良い土と水、薪木に恵まれた土地であるかがわかる。

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■実直で、正しい器 小石原(福岡県)

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小鹿田焼と「兄弟窯」と称される小石原焼。隣り合う産地だけ合って器の雰囲気はよく似ているが、それでも実物を並べると違いは明らか。ともに柳宗悦らの⺠藝運動で広く世間に知られるずっと以前から、日用雑器をつくり続けてきた九州を代表する⺠陶だ。
小石原の始まりは1682年。福岡県の中南部、朝倉郡東峰村に集まる約50軒の窯元が飛鉋や刷毛目、釉薬の流し掛けなどの伝統技法を今に伝える。遠州七窯のひとつ、高取焼もこの地で作陶を続け、この山間の集落では⺠陶と茶陶のいずれも盛んにおこなわれてきた。

ここから小鹿田に技術が伝えられたのでよく似ているのも納得。兄弟というか親子窯なんだね。

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お邪魔したのは、江戶時代から続くマルダイ窯こと太田窯。このあたり窯は太田さんという苗字が多く、またほとんどが縁戚関係でもあるため、屋号のマルダイで呼ぶのがわかりやすくていいんだよ、と大きいおかあさんの太田芳子さんが説明してくれた。

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江戸時代の築という茅葺屋根の古⺠家でおにぎりを頂きながら器を見せてもらう。派手さを抑えて使いやすさを重視した「正しい器」。小鹿田焼や小石原焼といえばずっしり重い印象だが、手に取ってみると思いのほか軽かった。14代目の太田万弥さん、奥さんのいづみさんの実直な仕事のあらわれだろう。

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飛鉋(とびがんな)の技法を見せてほしい、と頼むと、「せっかくだから刷毛目(はけめ)もどうぞ」と万弥さん。間近で、たっぷりと作業を見せてもらう。「小石原にはもっと達人がいるから」とはにかみながら、しっかり、地道に身に付けてきたであろう技術をゆっくりと見せてくれた。贅沢な時間だった。

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万弥さんが汗をかきかき自作した登窯も見せてもらい、ついでに広大なマルダイ窯の敷地を散歩する。先代が時間をかけて整えたという庭の際に、京都の窯元へお嫁に行った次女のまどかさんが小学生のときにつくった馬を発見。

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良い一日が暮れていく。

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この日は太田さんのご厚意に甘えてマルダイ窯に宿泊。芳子さん、いづみさんのおいしい料理に舌鼓を打って、⺠芸博物館のような部屋で就寝。

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購入にした器たち

小鹿田・小石原で購入にした器たち

 

SPECIAL

TEXT BY YUJI YONEHARA

PHOTOGRAPHS BY SHINGO YAMASAKi

17.08.04 FRI 16:50

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