「ててて見本市」が示す手仕事の方向性:永田宙郷・大治将典インタビュー」

今年で6回目を迎える中量生産される『手工業品』のための展示会「ててて見本市」。
各地で小規模なものづくりを行う作り手と、販売を担うバイヤーの橋渡しをおこなってきたこの場は、現代の手仕事のあり方を提示する機会として内外から注目を集めている。

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「ててて見本市」が示す手仕事の方向性:永田宙郷・大治将典インタビュー

今年で6回目を迎える「ててて見本市」。“中量生産・手工業”をコンセプトに掲げ、各地で小規模なものづくりを行う作り手と、販売を担うバイヤーの橋渡しをおこなってきたこの場は、現代の手仕事のあり方を提示する機会として内外から注目を集めている。

運営メンバーにプランニングディレクター、デザイナー、デザインディレクター、海外専門ディストリビューターと異なる視点を持つ4名が集うことで生まれる独特の運営手法は、2010年代になって各地で勃興したクラフトフェアや展示会の潮流のひとつとなった。

全国から100組の出展者が参加して開催される第6回を直前に控えて、運営メンバーの永田宙郷、大治将典(インタビューはスカイプでの参加)のふたりにこれまでの活動と、これからの運営について聞いた。

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ててて協働組合
http://tetete.jp
デザイナー、デザインディレクター、海外専門ディストリビューター、プランニングディレクターと異なったフィールドでものづくりに関わってきた4人によって2012年からスタート。「中量生産・手工業」をテーマに中小規模の作り手を支える展示会「ててて見本市」を運営。左から:大治将典、吉川友紀子、まつおたくや、永田宙郷

中量生産と手工業

——まずは、2012年に「ててて見本市」を始めた経緯から教えて下さい。

大治 もともと僕たちはそれぞれの立場でものづくりをする人たちと仕事をしていたんですが、自分たちが関わっている作り手さんたちの「次の一歩」を考えたとき、ちょうど合うような見本市が無かったんですよね。最初は「じゃあ、自分たちでつくろうか」というぐらいの軽い気持ちでスタートしました。

永田 当時は年に1度の見本市ってほとんどありませんでしたからね。年に2〜4回ある大規模な見本市に出展するには、高額な出展料を用意して、開催に合わせて毎回新作を準備しなくちゃいけない。地方で、小さな規模でものづくりをしている人たちにとって商談の場に出るハードルはとても高かった。

大治 規模や利益を追求する商談会ではなく、ものづくりのあり方を定義する場にしたかった。それが「作り手」と「伝え手」「使い手」を有機的に繋ぐ見本市をつくることだったんですよね。

永田 大量消費のサイクルから抜け出したくてあがいているのに、短いサイクルで消費材としてのプレゼンテーションを求められるというのはつらいですよね。最終的に商品を売るのはお店だけど、店頭の目新しさに合わせてものづくりをするのは違和感があった。

昨年の様子。多くのバイヤーが来場し、出展者と交流していた。

昨年の様子。多くのバイヤーが来場し、出展者と交流していた。

——6回目を迎え、出展者数は100を超えましたね。

永田 最初は20組でスタートしたのに、いつの間にか3桁かぁ。4人のメンバーの「放課後活動」が、ついにここまできちゃったかという感じですね。当時は僕が32歳、大治さんは35歳だったかな。思い返せば、選ぶアイテムや選考理由だとか、かなり渋好みの若者だったよね。

大治 いろんな意味で今の年齢でちょうど良くなってきたよ。

永田 ここしばらく、これからのものづくりのあり方を探る試みが世界同時多発的に起きていて、オランダで「New Crafty」と呼ばれた活動が始まったり、雑誌で「モダンクラフト」という特集が組まれたりね。まだ言葉で定義されていない概念を世界中の皆が一生懸命に探していて、自分もその坩堝のなかにいるんだと思ってスタートの時もとても興奮したことを覚えています。

ててて見本市2016出展されていた高岡銅器のメーカー有限会社モメンタムファクトリー・Oriiのブランド「tone」。2017年も出展予定。

ててて見本市2016出展されていた高岡銅器のメーカー有限会社モメンタムファクトリー・Oriiのブランド「tone」。2017年も出展予定。

——「ててて見本市」の出展を機に、いくつものメーカーがブランドを立ち上げています。とくに、それまで製造だけに携わってきた工房や職人が商品企画や流通までを考えるようになったのはとても大きな変化です。

大治 当初は「中量生産・手工業」というコンセプトを、社会にどれだけ理解してもらえるか不安でしたけどね。

永田 「手仕事で、少量ずつでも再生産可能な商品」という意味を込め、社会に「ものづくりの適量って何?」ということ問いかけたつもりでした。6年間言い続けてきて少しは浸透してきたようにも感じますが、まだ流れをつくるまでにはいたっていないかな。頑張らないとですね。

大治 「中量生産・手工業」が、「作家」や「クラフト」「伝統工芸」のようなカテゴリーのひとつになれば面白いと思う。ほかのカテゴリーとの違いをより鮮明にしていきたい。

永田 今、自分が立っている場所や向いている方向については常に意識していますよね。「工芸」や「地域」という言葉の定義はあまりに曖昧で広いので、考え続けないと自分を見失ってしまいそうになるから。

——「ていねい」「暮らし」とか、手仕事を表現する便利な言葉はたくさんありますね。ちゃんと定義して使わないと空虚になってしまう怖さがある。

永田 そう。だから、今、自分が地図上のどこにいるのかを常に確かめたい。

全国の工芸品からデザイングッズ並ぶ「TO SEE」の店内で工芸と地域の関係について話す永田さん

全国の工芸品やデザイングッズが並ぶ「TO SEE」の店内で工芸と地域の関係について話す永田さん

——この6年間、来場者層にはどんな変化がありましたか。

大治 海外のバイヤーさんはとても増えましたね。あと、メディアや市町村関係者、各地でものづくりを支えるデザイナーやプロデューサーなど年々幅広い層に来て頂いていますね。

永田 一方で、百貨店のような大型店舗のバイヤーさんは少なくなりましたね。第1回目の頃は伝統工芸品の売り場は百貨店ぐらいにしか無かったけど、今はいろんな業態のお店が販売していますからバイヤーさんも多岐にわたります。美容室の方がバイヤーとして来場していたこともありますからね。

大治 ウェブショップの台頭も目を見張るものがありますね。一昔前は、「実店舗が無ければ取り引きしない」と言うメーカーさんも多かったけど、今は買い物の主流がウェブへと転換していますからね。商品を手に取らずに売るウェブならではの伝え方、売り方をあらためて考えています。

——出展者の傾向はいかがでしょうか。

大治 始めた当初の目的とは変わり、回を重ねるごとに僕らが仕事で関わっている作り手が出展を控えるようになってきました。それは、「ててて見本市」が良い繋がりを生んで、次のステージに行ったということ。うれしい傾向ですね。空いた場所に新しい作り手が参加してくれると、見本市としても新陳代謝になります。

永田 「ててて」の出展をきっかけに、海外へと販路を広げていった作り手もたくさん生まれました。こうして、どんどん次の作り手に場所を譲って入れ替わっていくのが理想ですね。今後の「ててて」が目指すあり方ができてきたと思っています。ほかの見本市に比べて出店料をかなり低く設定しているのも、若い作り手が参加しやすくするためですから。

2017年のグラフィックは山形在住のデザイナー吉田勝信によるもの。

2017年のグラフィックは山形在住のデザイナー吉田勝信によるもの。

——2017年の「ててて見本市」はどのような印象ですか。

大治 大きな点では昨年までとは会場が変わったこと。青山という土地の特性もあって、出展者・来場者ともにこれまでと少し雰囲気は変わるんじゃないかな。今回、定員のほぼ倍の応募があり、選考にはかなり時間がかかりました。

永田 選考は商品の現物を見ずにおこなうので、作り手自身のことをすごくイメージするんです。今回はひとりの応募者について30分議論したこともありましたね。「彼はどういう活動をしているんだろう」「それはどんな意味を持つんだろう」って。よくわからない場合はその場で電話をしてお話ししたりね。出展者のなかには僕たちが直接会ってみたいから呼んだ方も多いです。

大治 こういう人が「ててて」らしいな、出てくれたらうれしいな、と考えていた人から応募があると、とてもうれしいですね。「ちゃんと伝わってるんだ」って。

永田 今回、会場のキャパシティに比べてとても多い出展数なので、これまで以上に「縁日感」があると思います。参道だけじゃなく、裏手にもお店がひしめき合っているような。縁日ってフェスティバルとセレモニーが同居しているでしょう。それは、まさに「ててて」の目指すところ。当日は作り手が主役。僕たちの担当は本部テント。祭の最中はずっと本部でお酒飲んでるんだけど、いざという時は要になる地域のお年寄りみたいな。

TO SEEの店内で「ててて見本市」にも出展していた漆芸家・阪本修のブランド「urushi no irodori」を見つける。

TO SEEの店内で「ててて見本市」にも出展していた漆芸家・阪本修のブランド「urushi no irodori」を見つける。

——来年以降、出展者数を拡大する予定は?

大治 顔が見える、という意味では100組は限界だと思う。全員が顔見知りでいられるのは「ててて」の良さだから、これくらいの規模を維持していきたいな。

永田 会場も、僕たちのキャパもそう大きくはないですからね。

——出展者が多すぎると打ち上げができませんよね。

大治 これはかなり重要な問題だよね。

永田 毎年、会場よりも打ち上げの店を探すところから始めていますからね。打ち上げはせいぜい150人ぐらいが限界でしょう。それが適正値かつ最大値かな。

ててて見本市のこれからについて話す永田さん

ててて見本市のこれからについて話す永田さん

——今後、「ててて協働組合」として取り組みたいことは?

大治 いつか、このメンバーで見本市以外のプロジェクトをしてみたいですよね。

永田 プランナー、アートディレクター、PR、進行管理のスタッフがいて、国内外のディストリビューションもできるのに、不思議と仕事のオファーはまったくないよね。自分たちで企画して実行すればいいんだけど、名刺をつくるのに3年、法人化するのに5年かかったメンバーですからね。

大治 「ててての場所」もつくりたいな。それがお店なのかはわからないけど。

永田 あとは、運営メンバーに新しい人を入れたいかな。「ててて」の運営はお金にはならないけど、人の繋がりはたくさんもたらしてくれる。多くの人と知り合うことで、さらに豊かな活動ができそうな人がたくさんいる。

大治 出展者の方やメーカーと一緒にものづくりをしているデザイナーさんなど何人か頭に浮ぶ人はいますね。そうして少しずつ新しい人が増えて、彼らがまた次の人に声をかけて「ててて」が続いていくのが理想。地域のお祭りと同じですね。

永田 そう、お祭りみたいに楽しくて続くのが大切!

永田宙郷 ながた・おきさと
プランニングディレクター
1978年福岡県出身。金沢美術工芸大学芸術学卒業後、金沢21世紀美術館勤務、デザイン事務所勤務を経て株式会社イクスを設立。各地で地域活性や商品開発デザイン・ディレクション、コーディネートをおこなう。
http://exs-inc.com

大治将典 おおじ・まさのり
手工業デザイナー
1974年広島市生まれ。大学を卒業後、建築設計事務所、グラフィック事務所を経てデザイン事務所を設立。日本のさまざまな手工業にまつわるデザイン・ブランディング・グラフィック等を手がけている。Oji & Design代表。
http://www.o-ji.jp

[撮影地]
TO SEE
京都市中京区衣棚通竹屋町上ル玉植町 244
http://t-o-s-e-e.jp

「ててて見本市」が示す手仕事の方向性
>> 出店者インタビュー [前編][後編]

SPECIAL

TEXT BY YUJI YONEHARA

PHOTOGRAPHS BY MITSUYUKI NAKAJIMA

17.02.07 TUE 09:35

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