―宇野さんは京都市立芸術大学の大学院に在籍されていますが、工芸科を選んだ理由は何で しょう。
宇野:高1の頃から京芸に行きたいという憧れだけは先にありました。京芸の工学科に入学すると、陶磁器、漆工、染織の3種を最初にやるんですけど、結果的に自分に合ってたのが陶磁器専攻でした。
―すでに宇野さんはいろんなタイプの作品をつくってますよね。
宇野:そうですね、学部4年生のときには陶磁で椅子をつくってました。用途の無効化、鑑賞性の増強といったことが自分の中ですごく関心があったので。その次の年はうつわと絵画の関係が気になって、あ、これは、家にあります。
宇野:うつわをフォーマットにした作品といえると思いますけど、これは指で成形して、指で絵付をしました。伝統的な釉薬を使って薪窯で焼くという、一般的なうつわのフォーマットに則った上で、うつわと絵の関係性について自分なりに回答してみました。
―指跡がそのまま見えてますね。指を使うというのはどうして?
宇野:九谷の模写をするという機会があったんですけど、めちゃ難しくて、単純に曲面に絵を描くのってすごく大変なんですね。
―職人技ですよね。
宇野:そうなんですけど、どうしてそれをわざわざする必要があるのか、自分には違和感があったんですね。じゃあ、というので、成形と絵付を同時に行って、なおかつ、土の動きにあわせて絵を描きたいと考えました。たとえば、指でヘコませれば、それがそのまま景色になるので、それにあった絵付をして、という風に。
―ものすごく合理的なやり方ですね。
宇野:方法論として陶芸を見るというやり方で、自分にとって実りのあるように陶芸を解体して、自分なりに捉え直しています。
―最近の制作ではどんな作品に取り組まれていますか。
宇野:実は、コロナが本格化したタイミングで、学校の設備もあまり使えなくなり、卒業制作をうまくやれない気がしたので、休学して家で制作することにしたんです。窯がなくても七輪でやれたらいいやんと思って、七輪で楽焼をして、九谷の上絵で色をつけるという方法で制作してみました。九谷上絵協同組合から手に入れた、オーソドックスな上絵の具を使いながら、楽焼の1100℃まで焼成したらどうなるかなって。
―通常の上絵具の焼成だと何度くらいなんでしょう。
宇野:だいたい700~800℃くらいです。これが1000℃を超えてくると、黄色の上絵具が金色になったり、赤もラスターっぽい色味に焼けて、金属質な見た目になるんですね。そういうことを自分で発見して、そうか、自分と土と窯とを好きに組み合わせてもいいんだなと気づきました。
―手のひらサイズのオブジェで、形も色も面白い仕上がりですね。
宇野:これはひとつのテストピースですけど、コロナの期間、自分と向き合って過ごしたあいだの自画像的なものでもあるなと思います。
休学した頃から、自分の暮らしと自分が大事にしているものの関係性を考えるようになって、そこで気になりはじめたのが碍子(がいし)。僕らの暮らしは、Wi-Fiやインターネットに支えられてますけど、その陰で電線についてる碍子も大きな役割を果たしています。碍子ってセラミックですよね。そんなことから、古道具店とかガラクタ屋で碍子を見かけたら買うようになりました。
―碍子=電線と支持物の間を絶縁するための器具で、電柱やら古い民家の配線についてますよね。
宇野:そうですね。前に住んでた家にもあって、それと同じ形の碍子をガラクタ屋さんで見つけたんです。8月から僕たちの暮らしと碍子の関係性をもとにして、パズルの作品をつくりはじめました。
宇野:これは、あえて素焼きの土器あたりの低い温度で焼いたものなので、もちろん、食器としては使えません。また、パズルを解くために人がかちゃかちゃとさわるので、形が削れてもいきます。石や花、星をモチーフにして、いくつかつくっていきました。後はパターンになるだけかななんて思っていたけど、やっていくと意外といろんな形が出てきて。自分でも甘く考えてました。
―陶芸の歴史や各産地、碍子とちょっとお話を伺うだけでも、参照項は様々ですね。
宇野:僕は陶磁を素材としてしか見てない、という言い方が近いと思いますけど、自分の好きなように解体して、自分のやり方で組み立てるのが一番しっくりきます。ただ、これは自分が好きなやり方だというだけで、ろくろをまわして器をつくる作家さんや窯元さんのことは、本気ですごいなと思います。僕の気持ちがあまり向かないだけで。
じゃあ、僕はどうやって生きていこうかなと思ったら、指でうつわをつくったり、うつわの概念を捉え直したり分解したり。自分にとって実りのある形で陶芸を解体していくということになるのかなと考えています。
―陶芸家というよりは美術家。
宇野:ですかね。ただ、そのときにつくる作品によって、呼び名は変えてもいいと思います。肩書きって職業だから。うつわをつくるときは、うつわ作家、美術作品をつくるときは美術作家。名義を自由に増やしていったらいいと思います。
―宇野さんがつくってるものの幅は広いですね。
宇野:制作の種類に幅をきかせてるんやと思います。じゃないと対応できないものが出てくると思って意図的にそうしています。たとえるなら、手持ちの薪は少なくて雑多という感じ。だから、たくさんの松をちゃんと持って、ずっと焚いてる人がうらやましくもある。たぶん、それって作品の作りかただし、作りかたは生きかたや考えかたやと思うんですけど、僕は、陶磁のことを陶芸だけで捉えることはなかった。それは、もともとの自分の性分でもあるとも思います。生きてきた軌跡がこれからの自分を形づくっていくんやと思います。
―引っ越して3日目というご自宅ですけど、実際に生活道具も少なそうですね。
宇野:机もなかったので、さっきつくりました。暖房はまだないから、夜は寒くて凍えてます(笑)。
―だけど、はしごはある。
宇野:これは前の家に住んでるときに古道具屋さんで買ったんです。なかなかの決断でしたね。3m42cmあるので、家に搬入するのも大変で。
―けど、どうしてはしごを買ったの?
宇野:どこにもつづいてないはしご、というのがひとつの夢やったので。これは持っといたほうがいいやろうって買いました。展示の什器にも使えるだろうし。
―古道具はよく買いますか。
宇野:碍子もそうでしたけど、それ単体で使えないものとか、意味のわからないものとかがあって、そういったものを収集していて、それは自分にとってリサーチにも近いのかなと思います。店でそれをただ見て、面白かったなでもいいと思うけど、忘れちゃうし、自分でそれが何なのか回答してみないとわからないことも多いから。「これは碍子ですよ」って言われても、そうなんだ、で終わってしまう。じゃなくて自分で手に入れることで、想像したり、形の果たす機能を考えたり、美的感覚の実践ができると思います。高いものもありますけど、そこにお金を投じてそういう世界の中に入っていくのはいい経験やなと思ってます。
―古道具も作品に活かされている。
宇野:古道具を買うというのは、制作の予備動作なんだと思います。それだけじゃなくて、単純ですけど、知らないことをあらたに知ること。それが、美術や音楽とかのカルチャーでも、社会情勢でも、知らなかった政治問題でも。そこに興味をもって知ろうとすることは、どこか世相も反映してるはずなので。受動的かもしれないけど、面白いからそれでいいかなと思います。
―そして、引っ越してきたこの家の中庭には、電気窯が据え付けられてますね。
宇野:そう、もともと電気窯がついてたので、この家を借りることにしました。まだ電気も通してないし、道具も揃ってないから使うのはこれからです。卒業制作のために考えていたプランを、これで試してみることになると思います。
―七輪陶芸は、大学に入れなくなって、家で制作できるやり方を模索する中で始めたということでしたが、生活環境と制作が密接ですね。
宇野:そこは組み合わせないとやってられないですね(笑)。七輪のことでいえば、緊急事態宣言が出たころ、原始的なことがやりたくなったのもあって、七輪で焼いてたら火が見れるし、爽快だったというのもあります。
―「なならぼ」という七輪陶芸の研究グループも発足して。
宇野:同じ大学の彫刻科出身のふたりが、土や焼き物を使った彫刻も制作していたので、七輪陶芸も自分なりのやり方でできるんです。
たぶん僕は、ひとりでは歩を進めることはできないので、京都で制作をする意味がそこにあるのかなと思います。周りに面白い作家、カルチャー関係の人もたくさんいるので。
『ARTAOTA』
日時:2021年2月12日(金)~14日(日) 11:00~19:00(最終日は~16:00)
会場:九条湯(京都市南区東九条中御霊町65)
入場料:500円
※宇野さんは学生のアートマーケット『ARTAOTA』に出品。『ARTAOTA』は、アートフェア『Art Collaboration Kyoto』のサテライトプログラム。→https://www.a-c-k.jp/satellite-programs/
INTERVIEW
TEXT BY ATSUSHI TAKEUCHI
PHOTOGRAPHS BY SHOKO HARA
21.01.12 TUE 17:53