「ちょぉうさぃ、ちょぉうさぃ」
これまでのうっぷんを晴らすかのような大きなかけ声が女川の町に挙がる。笛と太鼓の囃子が境内に響き始めると、間もなく御輿が持ち上がった。
女川町の住宅の7割を流したあの津波は、白山神社の社殿や神祭具の大半も流してしまった。町の再建が進むなか、白山神社は仮設社殿で住民を見守り続けてきた。建物はともかく、「鎮守の社」としての役割を果たしてきたのだ。
2017年にようやく社殿が再建され、御輿も修復から戻ってきた。毎年5月3日の例大祭も震災以来はじめておこなわれたが、周辺道路はまだ整備されておらず、軽トラックに御輿を乗せて仮設住宅や各集落を巡回した。氏子総代長の佐藤良一さんは、「それでもやっぱりうれしかったですよね、うれしかった。でも、まだあくまで『仮の祭だ』、とも思っていました」と当時を振り返る。
2018年、京都から賽銭箱が届いてようやく白山神社の例大祭に必要な神祭具が揃った。この賽銭箱は前後に担ぎ棒が伸びたこの地域独特の形状をしており、例大祭の行列では子供たちが担いで御輿の先頭を練り歩くのが恒例だった。この様式の賽銭箱は経験豊富な京都の職人たちにとっても初めての仕事で、震災前の写真資料や氏子の記憶を聞き取って復元にこぎ着けた。
京都神祇工芸協同組合青年部の35周年事業として実施されたこの取り組みは、行政からの助成金の有効な使い途として発案された。材料費全額と製作費の一部は助成金で、残りの製作費は作業に携わった6名の職人たちが負担した。「職人として、なにか世間のためになることがしたい。でも、私らの仕事ってごく狭い範囲で活用されるもんでしょう。貢献できる先は決まってるやんね」。と発案者のひとりで、賽銭箱の錺金具を担当した大柳展也さんは話す。大柳さんたちは、つてをたどって「困っている神社」を探し、1年ほどかけて女川町の白山神社に行き着いた。
賽銭箱を納めるため、例祭を訪れていた京都神祇工芸協同組合青年部の飾房紐職人、野垣和志さんは例祭が無事に始まった様子にほっとした様子だ。同行の和鏡職人、山本晃久さんは「自分たちにも復興のためにできることがあったんだ。なによりもそれがうれしい。今回のことが少しでも女川の皆さんの力になれたら」と話す
神社の祭具・調度品をつくる神祇工芸は、ふだんの暮らしからはとても遠い手仕事だ。しかし、神祇工芸の職人にしかできない暮らしの支え方があった。このことを知っていちばん驚いたのは京都の職人たちのようだった。
REPORT
TEXT BY YUJI YONEHARA
PHOTOGRAPHS BY MASUHIRO MACHIDA
18.10.26 FRI 17:33