近藤太一/桶職人
1973年大阪生まれ。京都精華大学大学院修了。2002年より木工芸家・中川清司氏に師事し、桶、指物の技術を学ぶ。2009年独立し、工房「桶屋 近藤」を開く。16年「京指物」伝統工芸士の認定を受ける。
近藤さんのキャリアは、美術彫刻家としての活動からスタートしていますね?
はい。京都精華大学に入学してから大学院まで進んで、修了後は大阪芸術大学の副手として勤めました。学生たちのお手伝いをしながら大学の設備を使わせてもらって主に布とかプラスチックを使った作品を制作し、90年代後半からグループ展・個展と色々と行ってきましたが、大学の任期を終了した後、ある出会いが僕の人生を一変させたのです。
どんな出会いが人生を一変させたのですか?
2002年、大阪芸術大学の任期が終了した時のことです。京都精華大学の先輩で、中川木工芸の3代目に当たる中川周士さんに「お前、今何してんねん」と聞かれて、「大学の任期が切れて今は何もしていません」と言ったら「モノ作れんのにぶらぶらしとったらあかん、手伝いに来い!」と言われて。その頃は伝統工芸なんて全然接点ないし、知らぬが仏ってやつで、軽い気持ちでアルバイトとして手伝いに行ったら……初日に痺れてしまったんです。日本の、ホンマの、手仕事の、桶作りの現場やったと。師匠(中川清司氏)が人間国宝やったんのも、バイトに行くまで知らんかったしね(笑)。
中川清司氏が人間国宝だと知らずにアルバイトに! そこから、どうやって弟子になったんですか?
1ヶ月のバイトが終わる時に「続けさせてください!」ってお願いしたんです。中川さんが作っていらっしゃる桶が、日本で一番綺麗な桶やと思ったし、ってことは、それが多分、世界で一番の桶ということになるわけで。本当に感動したのです。そこから7年間。最初は「弟子」とも言ってもらえなかったですけど、出来ないなりに無我夢中でついて行きまし た。工房に入った時、29歳だったんです。伝統工芸の世界って、「丁稚(でっち)」から 始めるような世界だから、この年齢って、めちゃくちゃ遅い。普通にやってたらダメだと 思ったので、かなり気合入れて仕事しましたね。
「木工芸」というと、木でできた工芸品ということで、箪笥とか器とかいろいろあると思いますけど、その中で「桶」というと、どういった物を作るのでしょうか。
木工芸の種類は技法で分類できて、箪笥とか木を組み合わせて作る物は「指物(さしもの)」と言うし、板を曲げて作る曲げわっぱなんかは「曲物(まげもの)」といいます。他には木をノミなどでくり抜く「刳り物(くりもの)」とか、ろくろで作る「挽き物(ひきもの)」なんかがあるけど、桶の仕事は木を箍(たが)で締めるから「箍物(たがもの)」と言います。
一般家庭用で使われるモノとしては、寿司桶、風呂桶、おひつ、洗濯たらいなどがありますが、今はポリバケツとか炊飯器とかいろんなものに代用されていて家庭ではなかなか見ませんね。土鍋でご飯炊きたい、炊いたご飯をおひつに入れたい、なんて若い人も増えていますけど、さすがにたらいで洗濯したいって人はまだ見たことないです。しんどすぎるよね(笑)。
そんな現代における「桶」の需要って、どうなんでしょうか?
「桶」の需要はありますよ。昔から使っているからそれがいいという人が、ちゃんといてくれるんです。修理して欲しい、同じモノを作り直して欲しいと、うちを訪ねて来てくれます。京都にはそういう人が多いですね。
あとは、寺社仏閣。手桶や手水鉢に添える柄杓とか、他にも初めて見るような神具を、修理・新調して欲しいという依頼が多いです。今までで一番何に使うのかよく分からなかったのは、蓋も底もない桶。毎日使うから同じモノを作ってくれって。実はそれ、仏前にお供えするためのご飯をそこに詰めて、型抜きするためのものだったんですけどね。以前作っていた職人が辞めたか亡くなられたかで、師匠の元に依頼が来たわけです。で、1個作ったら、もう1個作って欲しいって言われて。「なんで2個もいるんですか?」って聞いたら予備で持っておきたいからって。「寺はずっと無くならないけど、桶屋はいつおらんようになるか分からんから、もう1個作っておく」って。感覚が違うでしょ(笑)。
道具がたくさんありますが、全部使うんですか?
よく使うモノと使わないモノはありますけど、カンナはいろんな種類が必要なんです。桶って口の部分が広がっていて、底の方が窄まっているでしょ。つまりね、口の部分から底にかけて丸みの違うカンナ使わなければいけないんですよ。外側だけで3〜5種類、内側や面取りとかもあって、小さいぐい呑でも8〜9種類のカンナを使うんです。
どうやって道具を買い集めたんですか?
僕のところは先祖代々が桶屋だったわけではないので、修行時代から少しずつ自分で買い集めていきました。辞めた職人が手放した使い込まれた道具を古道具市で買い集めているから、道具だけ見たら老舗みたいでしょう(笑)。新しい道具が買えないわけではなくて、桶を作る職人が数少ないから、そもそも桶屋用のカンナを作る職人なんてほとんどいないんです。だから、刃の錆びを落としたり、台を直すのも、自分でやらなければいけない仕事の一つです。研ぎの稽古したり、どうしたらこの道具で削れるようになるのか、地道に考えるわけです。昔の持ち主が、なんでこんな風に刃を研いでいたのか、どうしてこんな風に台を調整していたのか、考えながら道具と向き合っていると、ある日突然「こう使うのかー!!」と 気づく瞬間がくることも。
修理だってそう。「なんでこれを作った職人は、こういう組み方をしたんだろう」と考えますし、傷んだところを見て「こういう組み方すると、長年経った時、ここがこう狂ってしまうのか」と勉強になるわけです。工芸品はちゃんと使われたら長い間残っていく。将来どこかの誰かに修理されるかもしれないと思うと恥ずかしいモノは作れないですね。
桶職人が見て欲しい桶の見所はどこですか?
見て欲しいところはたくさんあるけれど、まず材料から言えば木目が詰まったものかどうかですね。それから、年輪に対して垂直の、正柾(しょうまさ)で取ってあるかということ。バラバラの木片を組み合わせて1つの桶を作るんだけど、なるべくひと続きに見えるようにしてあると良いんです。木って長年使うと、縮んだりするでしょ? 木目が細かい木の集まりに、いきなり木目の粗いやつが入ってきたりすると、歪(ひずみ)になってしまう。同じ木でも、赤っぽいとか、目が荒い、細かいとか、部分によって状態が異なっているのでよく見極めないといけない。
あと京都の桶の特徴といえば、面取りにセンスが出ている。面に軽く丸みをつけて上品さを出しているんです。必要以上に面を取るともっさりした感じになるし、少しだけ接地面を少なくして軽やかさを出しているのがポイント。見ても分からないけど手で触ったら分かる程度の軽さでわずかに面を取った「手すり面」という言葉もあります。
どんな木を使って制作しているんですか?
用途によって使い分けています。吉野杉は、香りがお酒に合うので、酒器やぐい呑なんかに。値は張ってしまうけど、高野槙(こうやまさ)も、木肌が白くていい香り。おひつや寿司桶には、香りが優しい木曽椹(さわら)ですね。
この持ち手が二つある道具(写真上)は何に使うんですか?
これはセンと言って木を荒削りするための道具。丸太を鉈(なた)で割って、雨風に当ててカラカラに乾くまで干したモノを、センで荒削りして、それからカンナをかけるんです。これも木の丸みに応じて使い分けます。
丸太から板を切り出すところから、近藤さんが行うんですか?
丸太から「板」を切り出す? 違うんだな〜。丸いモノ作るのに、平らな板にしちゃったら、無駄が出るでしょ?
見てて。工房の床、丸太を埋め込んで丈夫にしてある部分、僕らは「割床(わりどこ)」と呼んでいるわけだけど、ここに丸太を置くでしょ。それから割鎌(わりがま)という曲がった鉈で、木の年輪に垂直になるように柾目に割って、「丸い木片」をいくつも作る。この時、節などの使えない部分がある時は、そこを鉈で割ってはずしてしまいます。
この製材作業のことを「木取り」と呼びまして、桶作りにとっては一番と言っても良いくらい大切な作業です。修行時代も、任せてもらえたのは最後の最後でした。
1つの木を割っていると、だんだん柾目で取れなくなってくる。いかに、1つの木から効率よく材料を取るか。それができるようになるためには、木のことを知り尽くさないといけない。1つの木から6枚取れるところを、4枚しか取れなかったら儲からないでしょ。最高級のモノを作っているわけだから、いい材料を贅沢に使わなければいけない。そしてそれと同時に、無駄なく大切に使わなければいけないというわけです。
ありがとうございました。最後に、近藤さんによる「木取り」作業の様子を動画にてお楽しみください!
桶屋 近藤
住所:京都市北区紫野雲林院町64-2
Tel:075-411-8941
URL:https://oke-kondo.jimdo.com
(注意)ショップではなく工房なので、訪問希望の方はその旨を伝え、丁寧にアポイントメ ントを入れてから訪れてください。
INTERVIEW
TEXT BY AI KIYABU
PHOTOGRAPHS BY TAKUYA MATSUMI
17.06.05 MON 18:21