左:第3代会長 浅野 芳之氏(鍛金)
1947年、京都市生まれ。京都に続く鎚金師の家に2男として生まれる。昭和51年(1976)第3代わかば会会長に就任。昭和58(1983)「京都の金工」米国13都市巡回展(京都金属工芸協同組合主催)でロサンゼルス日米文化会館において講演、当地大学にて実演を行う。
右:第10代会長 清水 福蔵氏(額看板)
1961年、京都市生まれ。慶応以前から続く木製文字彫刻額看板制作の「清水末商店」の5代目。木地の選定から仕上げまでのすべての工程を手掛ける。わかば会20周年事業に会長として携わる。平成26年度京都市伝統産業「未来の名匠」認定。
聞き手:米原有二(工芸ジャーナリスト)
1977年、京都府生まれ。京都を拠点に工芸を対象とした取材・執筆活動をおこなう。おもな著書に『京都職人 -匠のてのひら-』『京都老舗 -暖簾のこころ-』(ともに共著・水曜社)、『京職人ブルース』(京阪神エルマガジン社)など。京都精華大学 伝統産業イノベーションセンター 特任講師
■わかば会の創設
米原 京都市が実施する伝統産業技術後継者育成(育英)制度を受給された若手職人の団体として「京の伝統産業わかば会」(以下、わかば会)が発足して今年で50年目になります。その当時の伝統産業界はどのような状況だったのでしょうか。
浅野 その頃は日本中が好景気で、伝統産業の世界も例外ではありませんでした。業界によっては「作れば、売れる」という状況もめずらしくはなかった。でも、職人仕事は古くさいイメージで若者には不人気でしたね。
清水 わかば会も積極的に参加する会員のほとんどが家業を手伝う子弟でしたね。たまに弟子入りした方や従業員さんが参加していましたけどめずらしかったな。雰囲気としては「跡継ぎ同士の交流会」だった印象です。
小嶋 今とは全然違ったんですね!現在のわかば会には積極的に参加する従業員さんも多いので驚きました。
山本 なるべく広い層の若手職人に育成資金を活用してもらうために、間口は広い方がいいですね。昔のわかば会はどのような取り組みをされていたんですか?
清水 交流が主目的ですから、理由を付けては集まっていましたね。新年会に忘年会、ボウリング大会にソフトボール大会。あとは年に一度の研修旅行ですね。
小嶋 旅行ですか。今は行っていませんねえ。
山本 私のときも無かったなぁ。
清水 研修旅行は他府県の伝統工芸産地を訪問することがほとんど。現地の職人さんと意見交換などもありました。研修旅行の手配は会長の仕事でしたよね。
浅野 宿の手配から旅行日程作成までほとんど会長がしていましたから大変でしたよね。訪問先の旅館に「京都の伝統産業関係の団体です」と予約をすると、食事が飯がとっても少なくてね。年配者ばかりのイメージだったのでしょうね。実際には血気盛んな若者たちがやってきて、よく呑む、よく食べるので旅館の方が驚いておられました。
■業種を超えた交流
浅野 各組合にも青年会はあるけど、他業種の知り合いができるのはわかば会ぐらいでした。伝統産業は意外と横の繋がりがありませんからね。竹、漆、木工などいろんな職人の仲間ができ、後年に声を掛け合って一緒に仕事をする機会にも繋がりました。
清水 職人は工房に籠もることが多いから、意識して交流の機会をつくらないとね。うちは同業が少ない仕事だから特にそう思います。
小嶋 うちも同じです。提灯屋は同業者もほとんどいないし、組合もない。だったら、「伝統産業」という大きな世界でともに頑張る職人の仲間をつくらないと。父の代では工房に籠もって仕事ばかりだったので、工房として対外的なお付き合いはほとんど無かった。私の代で手探りで外に飛び出したという感じです。
米原 若手職人の経済的支援を行う「育成(育英)制度」は、今ほど後継者問題が語られていなかった1967年(昭和42)当時としては画期的な取り組みですね。伝統産業では試作品の材料費も結構かかりますから、その資金に充てるだけでも大きい。
浅野 そうですね。今、ベテランになって後進の指導をする立場になった職人のなかにも育成資金に助けられた人がかなりいるはずです。
山本 うちは親子で育成(育英)資金にお世話になりました。育成資金で道具や材料を整備できたので助かりましたね。また、日頃は伝統的な仕事に追われていますが、わかば会では新しい分野に挑戦できる良いきっかけをもらいました。
■第1回展覧会「未熟展」
米原 京都市役所に保管されていた資料のなかに、1973年(昭和48)に開催されたわかば会初の作品展の資料がありました。
山本 「未熟展」って、最高のネーミングですね。とてもインパクトがある。
浅野 これは謙遜じゃなく本音。この頃は「まだ修行中の身で展覧会なんかして申し訳ございません」という風潮だったんですよ。業界の先輩方に叱られる前に頭を下げちゃおうとこの名称にしたんじゃないかな。「先生」や「師匠」と呼ばれるような職人以外が展覧会をするなんて考えられなかった時代だから、若手職人なんてもってのほかだったんですよ。しかし懐かしいなぁ。よく残っていましたね。
米原 当時の新聞記事からもそうした時代の空気感が伝わってきます。当時のわかば会は「仏具」「漆器」「金工」「人形」「木工」「竹工」「扇子」の7業種だけだったんですね。
清水 西陣織と京友禅、京焼・清水焼の3大業種は各組合で取り組みをおこなっていたので、この頃はまだわかば会には参加していませんでしたね。
山本 今のわかば会は市内の伝統産業74品目が対象ですから、展覧会ひとつとっても大きく違いますね。
小嶋 それにしても、このデザインかっこ良いですねぇ。45年前とは思えないほど新鮮です。
>>> 創設50年を迎える若手職人の集い「京の伝統産業わかば会」、歴代会長座談会 <後編>
196年(昭和42)からはじまった京都市伝統産業技術後継者育成制度(2002年までは育英制度)の育成資金(現在は1年につき限度額20万円を2ヵ年にわたり支給)を受けた若手職人を中心に構成される任意団体。職人の相互交流と連携により、伝統技術を守り発展させていくことを目的としている。参加資格は、京都市内の伝統産業の製造に従事している者のうち、①44歳以下 ②従事期間2年以上10年以下 ③基本給月額18万円以下 ④勤務先の従業員が20人以下の者 等の条件がある。
[撮影地]
旧三井家下鴨別邸
京都市左京区下鴨宮河町58-2
http://www.kyokanko.or.jp/mitsuike/
INTERVIEW
TEXT BY YUJI YONEHARA
PHOTOGRAPHS BY MASUHIRO MACHIDA
18.03.12 MON 22:41