壬生寺近くに開店して今年で20年
「幾一里」は壬生寺や新撰組頓所旧蹟から近く、三条会商店街を少し南に行ったところにある町家の骨董ギャラリーです。1997年に開店し、今年の秋、20周年を迎えます。
「日日」のオーナーで、奥村さんの夫であるエルマー・ヴァインマイヤーさんと荒井さんとは親しく、「幾一里」の開店前からお付き合いがあったそうです。
荒井:まだサラリーマンで数寄者だった頃、寺町の骨董屋さんでエルマーさんに出会ったんです。それからもう25年ほどになるかな。
奥村:エルマーは京都に来たばかりの私を真っ先に荒井さんの所へ連れて来てくれました。エルマーのお気に入りの場所ということもあって、強く印象に残っています。私自身はまだギャラリーに携わってからまだ1年ほどなので、今日は大先輩である荒井さんにじっくりお話をお聞きしたいと思っています。
荒井:先輩とはお恥ずかしい、歳を取っているだけです。工芸に携わるお仕事は、日日さんの方が大先輩です。
山登りから民藝、そして骨董の道へ
荒井:骨董に興味を持ったきっかけは、登山の趣味からです。毎年会社の夏休みには、北アルプスなどに登っていました。そうすると、山の出入り口は信州の松本や富山、飛騨高山になるわけですね。帰りにお土産を買って帰ろうと思うのですが、どこへ行っても似たようなものしかないわけです。こだわりがあったんでしょうね。その土地で生まれ、作られ、愛されてきたものが欲しいと思いました。調べてみると、郷土玩具や民具、民俗資料に大変興味をもちました。登山のついでに作り手を訪ね、いわれをお聞きしたりするのが楽しみになりました。そして、新しいものと古いものを見比べると、私には古い方がいいんですね。ついでにちょっと骨董屋さんも回ってみるようになりました。その頃の収集品は、今でも家のどこかに眠っています。これがほしいと思うと、一生懸命に訪ね歩いたものです。20代の頃、元旦にわら馬を作ってほしいと、信州のお宅を訪ねたこともあります。これが民藝好きになった原点ですね。
奥村:登山が始まりとは意外です。荒井さんのお話や使われる言葉には、「そういう言い方があったか」と心に留まることが度々あるので、てっきり文学など、言葉の方面から骨董の世界に入っていかれたのかなと思っていたんです。「座辺の骨董 幾一里」も美しい店名ですね。どこから思いつかれたのでしょうか。「座辺」は荒井さんのお店に来て初めて知った言葉です。お店に置いてあるものもどこか、文学的な、詩的ななにかを感じます。
荒井:「座辺」というのは文字通り、座った辺りと言う意味ですね。魯山人の「坐辺師友(ざへんしゆう)」という言葉もありますね。私は日本民藝館にあるものや、白洲正子さんの世界が好きなんです。民藝という言葉は、柳宗悦さんの思想であり「目」そのもの。ここからここまでが民藝である、という物差しはない。美術館や博物館にあるものは、いいものですが、非日常の美術品ですね。そういうものではなしに、自分の座っているあたり、「座辺」で生かされ、愉しめるものが民藝なのかなと思うのです。
荒井:「幾一里」というのは、私がまだ数寄者の頃に、河原町二条に当時あったギャラリーで、買い求めた書から頂戴しました。俳人の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)という方が書かれたものです。長い道のりをあえて「幾一里」というのは、「千里万里の道も一歩から」という意味かなと、勝手に解釈しております。その時はまだ会社員でしたが、「将来何か店をやる時に、店名に使わせてもらえるかな」と、密かに思っておりました。バカな話でしょう(笑)。もちろん、この書体が好きだから購入したのですが。
骨董を買うということは、時間を買うということ
荒井:骨董というのは、時間を買うんだと思います。ものが重ねてきた歴史を感じるということ。どなたかに使われてきた、大切にされてきた、味わいがもののなかに吸収され、表情となっていると思うんですね。その美しさが尊いのです。例えばこの古い「炭斗」。お茶席や家庭で使われていたものでしょう。共箱(作品を制作した作者が箱書きをして納めた箱)がなくて時代も作った人もはっきりとは分からない。今だって同じようなものを作れるとは思いますが、この味の良さと美しさにはかなわない。でも新しいものは今の暮らしに合うように作ることができます。古いもの、新しいもの、それぞれに言葉にできない魅力というものがあるように思うのです。
奥村:「言葉にできないもの」を、感じられる自分で在りたいですね。
奥村:こちらで以前、エルマーがいただいた、ガラスの漏斗がありましたね。イタリアから缶で取り寄せているオリーブオイルを、ガラス容器に移すときに使っていて、我が家の必需品だったのですが、うっかり割ってしまったんです。
荒井:この漏斗は2点だけ仕入れて、そのうち1点をエルマーさんにお譲りしたのです。もう1点が残っているのですが……。(奥さんが漏斗を持ってこられる)。
奥村:ああ、このゆらゆら、いかにも手で吹いた感じがかわいらしい。これを使ってちょっと緊張しながら入れるのが楽しいんです。
荒井:夏の花入れとして、床の間に置いて利用するのもいいと思うのですが。もともとは化学実験の用途だったかもしれませんね。
奥村:この煎茶の急須もキリッとしてよくできていますね。水切れが良さそう。
荒井:それは戦前くらいに、職人さんがたくさん作っていたものでしょう。でも、きちんと作られている。
現代の作家との出会い
近年「幾一里」では、年に2回、現代作家の展覧会も催されています。安藤雅信、内田鋼一、金森正起、岸野寛、新宮州三、佃眞吾、村田森などの作家がここで展覧会を開催してきました。
荒井:お客様のものの取り扱い方を見ていますと、その方の職業がわかることがあります。料理人さんは若い方でも、器の取り扱い方がきちんと躾けられています。手を見たり、話をしていると、この方は作家さんかな? と気づくこともあります。そういう風に出会い、何度も通っていただく中で、打ち解け合うことができた、骨董好きな作家さんと、個展を開催してきたのです。多勢の皆さんにやっていただきたいのですが、基本は骨董屋ですから年に2回だけ。楽しくやっています。
次回は7月22日(土)〜28日(金)に「寛白窯 岸野 寛 陶展」を開催予定です。
「使えなくても机にちょっと置いてあるのを見ているだけで、心が和んだりニコッとしたり。それが座辺」と荒井さん。本当に求めているものに出会うためには、何度も根気よく通って探すことが大切だそうです。「幾一里」を入り口に、骨董や民藝を学んでみてはいかがでしょうか。
次回は荒井さんおすすめのお店を訪れます。どうぞお楽しみに。
座辺の骨董 幾一里
住所:京都市中京区坊城通後院通下ル壬生馬場町19-1
時間:12:00〜18:00
休廊日:水曜、木曜(臨時休業あり)
Tel:075-811-8454
URL:ikuichiri.exblog.jp
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TEXT BY AI KIYABU
PHOTOGRAPHS BY MAKOTO ITO
17.06.26 MON 18:05