1999年、齋田石材店入社。2013年、伝統工芸士取得。石工としてアーティスト、デザイナーとのコラボレーションや、アメリカやイタリアでの制作実演、講演なども積極的に行っている。
ご自宅の裏手。目の前には気兼ねなくBBQができる中庭、そして、齋田さんの目線の先には子どもの頃から駆けずり回った裏山が見えている。
亀岡らしい霧に煙る裏山、雲仙ヶ岳。明治時代、この裏山で石の採掘を始めたことが齋田石材店の創業につながった。いくつかの石材店があったというが、現在も続くのは齋田石材店だけ。
自宅から100mほどの場所にある石の大鳥居は、齋田さんの曽祖父の作。亀岡から妙見山へと抜ける旧道のとば口。
齋田さんは1978年生まれ。家業に入ろうという気持ちになったのは二十歳を越えてから。「子どもの頃は、石屋の仕事がすごい地味に見えてました」。
弟とともに野球を始めた頃。「友達もやってたから、週末遊ぶには野球するしかなくて。全然熱心じゃなかった」。父がやってた空手道場に通わされたこともあったが、「それもめちゃくちゃイヤで(笑)、1年くらいでやめました」。
気づけば暴走族に。「中学くらいから道がそれはじめて…人に迷惑をかけることしか考えてなかった(反省)。周りの友達もやってたので、鳶の仕事をしてました。なぜかニッカポッカに憧れるんですよね」。 
そして17歳で父親になり、18歳で結婚。「いっちょまえに金のネックレスしてますね(笑)。この頃はまだ鳶の仕事ですけど、僕、高いところダメなんで…3~4年やって、奥さんに「仕事継ぐんなら一刻も早いほうがいいと思う」って諭されました」。
―石材店を継ぐことをどこかでは思ってましたか?
齋田:いや、若いときは全然思ってなかったですね。
―石材の仕事を始めることを決めて、おとうさんはどんな反応だったでしょう。
齋田:最初は厳しかったんですけどね、給料ももらえず、ほとんど見習いみたいな感じで。僕が入ったときに、会社は父親とおじさんのふたりでやってたんですよ。そのおじさんも途中でやめて。
―お父さんとふたりきりに。
齋田:やり方だけ教えてもらって、あとは淡々と1日中、石を叩いてました。会話もほとんどなく、今、考えたらもっとしゃべっておけばよかったなと思います。父親は、僕が入って10年くらいして急に病気で亡くなりました。 
齋田さんの父が寂庵に石塔を納品したときの記念写真、事務所に飾られていた。
実家の客間。仏壇、かつてつくっていた茶臼などが飾られている。
右が実家、左がご自宅。ちなみに右手前は古墳だそう。
家の周りに置かれた石灯籠。ここがショウルームも兼ねている。
「つくったものをここで育てて売るんです。苔むして古いほうが価値があるので。これは、僕が獅子を彫り始めたくらいのものですね。父親は火袋のところとかをやってました」。
齋田さんが仕事を始めるよりも前につくられたものも。「自分が10年以上前に手がけたものや、父親の手が入ってるものが身近にあるので、今の自分と比較してしまうこともあります」。
さまざまな石の転がる工房風景。裏山の石はもう使っていない。
工房で仕事をするときには、ひとりで淡々と石を切ったり、叩いたり。最近はホテル仕事が多く、このつくばいもホテルでワインクーラーとして使われる予定。
―齋田石材店でお父さんと働くようになって、改心して仕事に専念するように?
齋田:というわけでもなく(笑)、ヤンキーはやめたけど、今度はサーフィンにハマってしまって。まだ体力があったから、夏は朝4時から日本海に出て、戻ってきて8時から仕事、また夕方から車をかっ飛ばして日本海へ行くみたいなこともしてました。
―子どももいるのに。
齋田:奥さんはだいぶ大変やったと思います(反省)。休みがあれば四国へ行ったり、鎌倉行ったり。アマチュアの大会にも出るようになってきて、そのあたりからだんだん価値観が変わってきました。サーフィンを通して自然のよさを思い出して、自分の仕事の価値なども考えるようになりました。
―今、仕事に専念できているのはサーフィンのおかげでもある。
齋田:それもあると思います。サーフィンをやるために、安い飛行機でバリ島とかにも行くようになって、海外から日本を見る眼というのもだんだんわかってきた。そのことは今、積極的に海外展開に挑戦していることにもつながっています。 
サーファー時代の写真は見つからなかったが、息子とサーフィンを楽しんでいた頃の写真を。
自宅に保管されていた大会用のサーフボード。ボード裏のイラストは齋田さんが描いたもの。「絵描くのは好きやったんです。だから細かい彫刻とかも嫌いじゃなくて」。
自宅のリビング。高い天井高で開放感がある。「友人の建築家が事務所を立ち上げたときに、その1軒目として設計してもらった家なんです」。
24歳頃で入った地元の消防団での経験も大きかったと齋田さん。「すごく熱い消防団で、大会前には週3回くらいの頻度でガチで練習もするんです。大人やのにボロボロに怒られて…。消防団は地域のカナメですね」。齋田さんは分団長まで務めて、昨年、退任した。所属していた分団の集合写真、中央に齋田さん。
右奥のイタリア人女性との縁から、南イタリアでの商談、仕事の開拓が始まった。「海外展開を考え始めた2007年頃に、ちょうど彼女がうちに来てくれたんです。そのつながりを大事にして、僕も向こうに行ったりして少しずつ縁をつないできました」。コロナ禍直前、2020年2月にもイタリアを訪問していたそう。 
2017年、ローマでの講演と実演を前に、京料理松正の小笹正義さんと。「なんのツテもないところから始めたにしては、順調に知名度を上げられている実感があります。まだまだ発信段階ですけど」。
事務所から海外とオンラインでつないで、ワークショップを行ったりも。イタリアの大学との商品開発の相談も進めているところ。
地元の人たちでにぎわう「さか井食堂」で昼食。知人に会うことも多く、あいさつも欠かさない。
紆余曲折を経て、齋田石材店を海外にまで広めている齋田さん。家紋を染めた法被も誇らしげに見える。家紋はイが4つで石、中央の末は初代の末次郎さんを表す。
齋田:ここは田舎やし、僕も若い頃は後ろ指さされるような人間やったんですけど、いろんなことがあって、今では慕ってくれる人もおるし、相談に乗ってくれる人もいる。だから、地域にはすごく感謝しています。地元でも商売させてもらってますし、消防団、商工会議所と地域のつながりをもとにやってきたので、ちゃんとせなあかんなと(笑)。ここまである程度、足元を固めてやってこれたので、そろそろ一度、海外に向けて集中してやってみたいと思っています。 

齋田石材店
https://saidasekizai.com/
INTERVIEW
TEXT BY ATSUSHI TAKEUCHI
PHOTOGRAPHS BY SHOKO HARA
21.02.08 MON 12:30