−− 東京の出版社から京焼の世界に
東京の大学を卒業後、広告制作会社のライターとして7年間勤めた梅田さん。そこから、なぜ京都・五条で焼物の絵付師になろうと思ったのでしょうか?
「文章書くのは得意だけど、これからの自分を考えた時に本当に好きだと思える事にチャレンジしたいと思ったのです」。
料理を作ることが好きで器に関心があった事や、親が骨董関係の仕事をしていた事もあり、焼物に関わる仕事を選択したのだそうです。
「でも、私の様なよそ者がつてもなく焼物の世界に入れるわけがないし、経済的にも今から陶芸の学校に行くことは出来ないなと思って半分諦めていたんです。そんな時、離職しても雇用保険を受給しながら一年間、焼物の勉強が出来る訓練校『京都府立陶工高等技術専門校』の存在を知り、『私でも焼物の世界に入れるかもしれない!』と急に希望が湧いてきたのです」。
そして、29歳の時に京都府立陶工高等技術専門校へ通うために、単身で東京から京都へ来ました。学校に通った日々を「私にとって人生で一番の一年間でした」と振り返ります。
−−約250年の長い歴史の中で、様々な芸術家との交流が行われて来た六兵衛窯
六兵衛窯には、円山応挙が絵付を行ったと伝えられている水指や、富岡鉄斎、横山大観など名だたる日本画家との交流の中で生まれた作品が今に伝えられています。五代目の時代には、民芸運動の一躍を担った河井寛次郎が六兵衛窯の釉薬顧問として務め、現在、河井寛次郎記念館として残る登り窯も、五代目が河井寛次郎に譲ったものとされています。
そんな歴史と伝統のある六兵衛窯の絵付師として、日々作業を行うことをプレッシャーに感じることはないか聞くと「プレッシャーよりも、これまで聞いてきた焼物の歴史の中に加われている喜びや、好きな六兵衛窯の商品に関われている喜びの方が大きいです」と何とも頼もしい答えを返してくれました。
−−手の込んだ作業を行うのが六兵衛窯らしさ
素焼きした器に白い化粧土を施し、器に立体感を出す「白盛り」技法。六兵衛窯では、この「白盛り」を行うことでしか出せない風合いを得るために、素焼き→白盛りを施して焼く→下絵付けをして釉薬を掛けて焼く→上絵付けをして焼くの計4回焼かれている商品も多いそうです。
「白盛りのような、時間を掛けた手の込んだ作業を行うのが、六兵衛窯らしさを作っていると思うんです。入社してからこれまで、先輩絵付師の下で色々な絵付をさせてもらっているんですが、新しいデザインを器に描いた時に、先輩が描くと出来が良く、私が描くとうまくいかない。そういう所で経験やセンスが出てくるのだと思うので、続けていくことで身に付けていきたい」と梅田さん。
取材中に交わされる当代と梅田さんの会話からは、勝手に思い描いていた厳しい師匠と弟子というイメージとはまるで違い、穏やかで明るく父と娘のような雰囲気を感じました。
梅田さんは、プライベートでは2ヶ月前に結婚し、仕事では絵付師として六兵衛窯の一翼を担い公私共に充実している様子です。
光の差し込む明るい作業場で、活き活きと働く様はとても眩しく感じられました。
六兵衛窯
URL:http://rokubeygama.com/rokubeygama
INTERVIEW
TEXT BY MASAHIRO FUJII
PHOTOGRAPHS BY NAKAJIMA MITSUYUKI
17.02.03 FRI 17:43