大柳 展也
1972年京都市生まれ。大学を卒業後、神社建築や神具の錺金具を製作する大柳製作所に入る。伝統的な技法と道具を駆使した手仕事によって天冠や神楽鈴などを手掛けている。
■手打ちの鈴
機織りの街、西陣。
機業関係の工房がひしめき合う中立売通から、細い通りを少し下がった(南行した)ところに大柳製作所がある。稚児の天冠や、御輿の装飾品などの「神祇調度品」を専門に手がける錺金具工房だ。
神祇調度とは聞き慣れない言葉だが、つまりは神社における建築以外の一切を指す。厳密には桧扇や三方のような道具類から、神鏡や御輿のように祭祀するもの、御簾などの社殿内装にいたるまであらゆる工芸品が含まれ、そこに神官の装束も加えて、神社に必要なものすべてを担う。
もとは平安期の宮廷文化から生まれたものが多いだけあって、京都は全国屈指の神祇調度品産地だ。神祇調度品を専門とする錺師、木工職人、御簾職人、冠職人、装束の染織から仕立まで幅広い分野の職人が密集し、京都御所の近辺に産地を形成している。
大柳製作所の8畳ほどの広さの工房には大柳展也さんと父の忠三さんのふたりが働く。
展也さんが神楽鈴の鈴の製作工程をみせてくれた。
「真鍮の板を焼鈍して鎚で叩いて、曲げて。少しずつ道具を変えては、また曲げて。その繰り返しです。半球をふたつつくってハンダ付けをして球体にします。それから鍍金で仕上げやね。鍍金は専門の職人さんがいるからそちらにおまかせで。神楽鈴をつくるときは、まずはこうして鈴ばっかりつくるんですよ。半球ばかりの日が続いて、次はハンダの日が続く。球体がたくさんできたらひたすらヤスリがけして。職人仕事って地味なもんです」
「鈴は、本来は錺師やなくて鍛金職人さんの仕事やね。でも、うちには昔からちょくちょく注文がくるね」
近年は、プレス機で型を抜いて、一度に何百個もグニャッと丸める機械製の鈴が主流で、大柳さんがつくるような手打ちの鈴はめずらしくなった。
「手打ちの鈴は音がええねん」
神官や神祇調度品関係者はみなそう口を揃える。その理由は、古来から続く手仕事への憧憬だけではない。
安価かつ簡易な品として誕生した機械製の鈴は、手打ちのものに比べて真鍮の地金が薄い。その理由はコスト削減と機械加工のしやすさだ。薄い真鍮板を曲げるのだから「焼鈍し」と「打ち叩き」の工程を何度も繰り返すと真鍮板が耐えきれずに破れてしまう。結果、柔らかいまま鈴に加工するためにあまり音が響かない。
一方、手打ちの鈴は、厚めの真鍮板を焼鈍して打ち叩く作業を幾度も繰り返す。金属は鈍すと柔らかくなり、叩くと硬く「締まる」。職人が手仕事で少しずつ球体に近づけていくのは、真鍮に強靱さを与えるためだ。硬く、強くなった鈴は振り鳴らしたときに玉の音が響き、とくに高音がよく通る。
今宮神社の権禰宣(ごんねぎ)、山田紗知子さんは「手打ちの神楽鈴は音の響き、広がりが明らかに違う。機械製のものと比べると重いため振り続けるのは辛い部分もあるが、古来より連綿と続く社への信仰を考えると手仕事でつくり出した御鈴の音への思いをいただき、それを後世に伝えていくのは重要なことだと思う」と話す。
手打ちの鈴は真鍮板が厚いため50年や100年の使用では摩耗しない。経年による錆びを落とし鍍金をし直せば、それをつくった工房が5代ほど代替わりする程度には使い続けられるだろう。実際、大柳さんのところに修理で持ち込まれる神楽鈴は初代かそれ以前の職人が手がけたものがほとんどだという。
ただ、神社界全体を見渡せば、価格面で圧倒的優位な機械製の鈴が主流なのが現状だ。値段は、文字通り桁が違う。
■大柳製作所と錺新
大柳さんに工房の成り立ちを聞くと「昔のことはよぅわからへんし、面倒やから僕で5代目と言うことにしてんねん」と返ってきた。
大柳の姓は展也さんの祖父からのもので、それ以前は代々「堀井新兵衛」を名乗り、屋号は「錺新」だった。明治の混乱期に改姓と工房移転が重なったため、家の歴史を示す資料などは残っていないことから、聞かれるとそれ以前の代を省いているのだという。つまり、本当は6代目かもしれないし10代目かもしれない。
「込み入った家の事情を説明してもしょうがないもんね。たまに修復作業などで江戸期や明治期の錺金具の裏に刻まれた『堀井新兵衛』の名前を見ることはあります。だから創業は江戸後期か、もしくは中期頃かも知れないんやけど、確かな記録が無いのにそうやって名乗るのもなんかへんでしょ」
ことさら創業年を語らなくとも、神社や神祇業界の人たちは「錺新」の頃から続く大柳さんの仕事の確かさを評価してくれている。先祖がつくったものが修理に戻ってきて、また確かに直すことができるのが、なによりの証だ。
「金属のもん(物)は、自分の何倍も長生きするからね。後の職人が見て恥ずかしい仕事はでけへんでしょ」
大柳さんにはいま小学生になる息子がいる。「跡を継いでくれたらうれしいだろうなぁと思うし、本人も今は『継ぎたい』って言うてます」
でも、大柳さんは「息子に跡を継げとは言わない、というか、言えない」と話す。
「僕も親父にそう育てられたし、親父もそうやったみたい。結局、こういう仕事は自分で決めないと頑張れないし、続かないですよ。なにより『錺師の家に生まれたから』というプレッシャーで将来の可能性を狭めないようにしてあげたい。もし、錺師以外の職業を選んだときには親として応援してやりたい」
「僕がしてやれることは、息子が錺師を職業に選んだときに『この仕事じゃ食えへん』と、諦めるような状況にはしないこと。大儲けできる仕事じゃないけど、最低限、家族を養って生活できる仕事であり続けてやることが、息子に人生の選択肢を与えることかなと思ってます。今までも『伝統』ってそうして繋いできたんとちゃうやろか」
SPECIAL
TEXT BY YUJI YONEHARA
PHOTOGRAPHS BY MITSUYUKI NAKAJIMA
17.09.05 TUE 18:55